夜を往く燈

God Rest Ye Merry Gentlemen を聴くと、藍色の夜が広がる。
 
家の中はオーナメントで飾られている。
ツリーの下にはプレゼントが積まれ、
部屋の壁から壁へ渡した紐に、贈られたカードがかけられている。
ピアノの上のアドベントカレンダーは開ききって、
家族と親しい人たちで囲んだテーブルの上にはごちそうが並んでいる。
外は静まり返っている。
カーテン越しに仄かに見えるツリーの電飾の色、しんと冷えた聖夜、
灯火を手にした聖歌隊の少年達は家々の戸を叩いては、
静寂を縫ってゆく。
 
冬の気配を感じた夜には、その声に身を浸しながら、
子供の頃待ちわびたクリスマスを、懐かしく思い出す。

そこに君が

銀幕の中に、昔好きだった人が現れる。
ほんの二、三分の、一方的な再会だ。
顔は毎年変わっていくように見えるけれど、
声はあまり変わらない。
自然なのか不自然なのかわからないしゃべり方も。
その姿を食い入るように見つめてから、
ようやく物語に集中できる、と、ほっとため息をついた。
感動も興奮もあまりなく、それはとてもシンプルで、
ただ懐かしいだけの小さな再会の場だった。
終わって、流れてゆくクレジットでニセモノの名前をみつけ、
なぜか少し、頬が緩んだ。
君に呼ばれる時、私は自分の名前が好きだった。

舌に幸福を

おいしいものを食べられることじゃなくて、
おいしいと思って食べられることが嬉しい。
めんたい高菜をじゃくじゃく食べる。
納豆、わさび漬け、脂がのって皮がぱりっと焼けたしゃけ。
白いご飯をもしゃもしゃ食べる。
お出汁がじっくり染みこんだ大根といかの煮物、ほうれん草のとろろ和え。
柔かく煮込まれた野菜がごろごろ転がる豚汁。
熱く濃い煎茶を啜るころには、
体は湯気でもたちのぼりそうなくらい温まっている。
おいしいと思って食べられるということは、
つまりおいしいものを食べているということか。
やがてホットカーペットのぬくもりに誘われ、
すっかり満たされた体のすみずみが、とろけるような眠気に冒されてゆく。
甘い誘惑に勝てず身を横たえると、いよいよ眉間がぼんやりしてくる。、
今寝たらとても幸せな牛になるな、と思いながら、とっぷりと目を閉じる。
ごちそうさまでした。

絹糸の揺籃

秋の夜を吹きぬける風はその冷たさとは裏腹に落ち葉のあたたかなにおいがする。
襟元をかきあわせ、心持ち早足で、それでも呼吸を楽しみながら、団地の隙間を歩く。
もう我が家が見える、というところへ来て、眼の前に何やら物体が浮かんでいるのに気付いた。
人魂ほどには大きくない。何より、黒い。
そばへ寄り、じっと見つめる。
それはくしゃくしゃにちぢれた落ち葉だった。
不意に細く、風が吹いた。
落ち葉はマジシャンに持ち上げられるようにゆっくり、ゆっくりと更に高く浮かんでゆく。
そして風が止むと、しばし頭上に浮かんだまま、
やがて羽のような軽さでまた元いた位置に戻ってきた。
ほんの刹那、近くの電灯の光を受けて、落ち葉から伸びる白い筋が浮かび上がった。
その先は、目を細めても見えなかった。
なるほど、蜘蛛の糸は地獄の底から救い出してくれる強度を持っているのだ。
建物の陰に佇み、しばらく闇に揺られる落ち葉を見ていた。

[ 涙がちょちょ切れるぜバトン ]

かっちゃまんさんより、バトンをいただきました。
長いこと気付かずにいてすみません。
では、さらりとゆきます。
 
1.最近流したのはいつ? またその理由は?
数日前に、心に一ミリの隙間もないほど余裕がなくなって。
 

2.今まででいちばん泣いたのはいつ?
覚えて居る限りでは数ヶ月前。
やることなすこと全てうまく行かなくて、声を上げて泣いた。
ささくれた心には些細な失敗すら引っかかり、ほぼ一日中涙にまみれてました。
 
3.優しさに泣いちゃうタイプですか?自分の情けなさに泣いちゃうタイプですか?

感動して泣いちゃうタイプですか?怒りすぎて泣いちゃうタイプですか?
話しているうちに、感情が昂ぶって泣いちゃうタイプです。
それは厳密に言うと怒りとも悲しみとも痛みとも悔しさとも違うけれど、
どの要素も少しずつ含んでいる気がします。
話している内容が何であろうとも、相手に伝えたいと強く思うほど、
気持ちが昂ぶってきて、涙になります。
 
4.誰かを泣かせたことありますか?
二十歳の誕生日に、母を責め。
電話のあちらとこちらで泣く地獄絵図でした。
今でも申し訳ないことをしたと思っています。
 

5.逆に泣かされたこととかありますか?
ははは、最近割りとよく泣かされてます。
あと、小さい頃(今もですが)男の子が苦手だったので、
ちょっかいを出されてはメソメソ泣いてました。
  

6.涙は何の味?
ぱっと浮かんだ。
砂の味。
 
7.涙に対する貴方の見解を教えてください
奇しくも6.の質問に繫がりましたね。
ズバリ、砂抜き。
心にざりざりと堆積したものを洗い流す作業。
 
8.おつきあいありがとさんです。嫌われたら泣いちゃうくらい好きな5人に回してみよう
嫌われたら泣いちゃうくらい好きな人に回して嫌われちゃったら悲しいので、
アンカーとさせていただきます。

 
id:katchamanさん、ありがとうございました!
面白味も叙情もない回答ですみません…。

ワンシーン

夜の電車で本を読む。
と、文庫本の端を何かがよぎった。
目線をずらすと、何かの植物の綿毛がふうわふうわと漂っている。
どこから迷い込んだものか、ゆっくりと空気に乗り、隣で眠るサラリーマンの膝に舞い降りた。
サラリーマンはそんなものにはもちろん気付かない。
紺色のスーツに、白い綿毛。
ふと顏を上げると、向いに座る女性もじっとその綿毛を見つめている。
夜の電車、乗り合わせた人々はどれも見知らぬ顔ばかりで、どこか遠い目をして、
今この瞬間、電車の中に意識を置いている人は、ほとんどいないように見える。
女性は綿毛を見つめ、私は女性を見ていた。
アナウンスが、私の降りる駅を告げる。
手荷物はいつも膝の上にまとめ、持ち手をぎゅっと握りしめている。
それでも私は忘れ物がないかを確認せずにはいられずに、席を立つとその空白を振り返る。
もちろんそこには何もなく、
それでも私は確かにそこに何かを置き忘れた気がしながら、電車を降りる。
 
駅前のケーキ屋さんのガラスのショーケースの中で、
美しく切り揃えられた小さなケーキたちがキラキラと宝石のように輝いている。
カラフルなゼリーやくだものやクリームで彩られたケーキを眺めて、眺めて、想像して、
そして何も買わずに歩き出す。
その足でスーパーに入り、値引きシールの貼られた惣菜を二つと、味噌を買う。
スーパーを出ると、大学生くらいの男の子の運転する自転車と衝突しそうになる。
男の子は携帯の画面に見入ったまま走ってゆく。
おそらく彼には私の姿などこれっぽっちも映っていない。
私だけが彼を見ていた。
心の中には、色とりどりのケーキがある。
私はきっと、明日もあのショーケースの前で立ち止まり、明日も買わずに帰るだろう。
公園を抜ける時、月が見えた。
何度か振り返り、確認しながら、帰った。
 
家のドアを開けようとして、手に文庫本を持ったままだったことに気付いた。
どうして改札やレジで気付かなかったんだろうか。
つるりとした表紙をなでる。
ドアを開ける。

つめたさは

長く人の住んでいなかった家は、とても冷たくしんとしている。
化石のようにじっと沈黙している。
光を入れ、磨き、生活のにおいがする家具が運び込まれ、
寝起きし、食事し、生活がぐるぐる回り始め、
気が付くと、家は光と温度を具えるようになっている。
冬の日のふとんが、自分の体温でじんわりとぬくまってゆくように。