青青い時間

あっという間に、夏の気配におそわれた。
ほんの少し前はまだ冷たい空気が混じっていたのに、
公園の大きなけやきの下すら、むっと蒸していた。
シロツメクサがところどころに群れて咲いている。
ほんの少し申し訳なく思いながらも、
芝生をふこふこと踏みしめながら歩いた。
サンダルからはみだした足の指先がむずがゆかった。
土と草のにおいが、肺まで染みこんでゆく気がする。
一分もかからず公園を通り抜けると、額に汗がにじんでいた。
背中にはりついたタンクトップがうっとうしかった。
蝉の声は、まだない。
サツキの花が落ちていた。
梅雨はもうすぐだろうか。

逞しく潔く

ほころび始めているのは知っていた。
蕾がわずかにゆるめば、そのすきまからたちまち香りをたちのぼらせるから。
数日前に見た金木犀は、まだ淡い緑色をしていた。
昨日、大規模な台風が通り過ぎ、葉をひきちぎられんばかりになぶられる木々を見た。
その吹きすさぶ風の中、かすかに金木犀の香りをつかまえた。
殴りかかってくるような風に似つかわしくない、甘くけだるげな香りだった。

すっかり散ってしまったものと思い込んでいたが、帰り道で見たのは、
鮮やかに色づいた花を枝にびっしりとつけた金木犀の姿だった。
小さな花はあの荒くれ者の風に負けず、しっかりと枝にしがみついていたのだ。
旬を過ぎれば一斉に、あっけないほどあっという間に散るというのに。
あの小さな蕾はきっと、香りをぎゅっとにぎりしめているのだ。
そして花びらが開ききると一気に蓄えていた香りを解き放ち、
すべて出し尽くしたら、潔く地に還るのだ。

今年の金木犀は、より力強く、甘美な香りに感じられた。

眠り姫或は

昨日、はてなハイクで知り合った方々にお会いした。
ダイアリーでの告知を受けて、いつものごとく軽い酸欠状態で参加させていただいた。
いい加減に慣れればいいのに、この心臓め。
 
予報通りの晴天で、汗ばみながらも爽やかな陽気だった。
初夏の気配に、迫り来る梅雨を予感したり。
集合後、まずはファミレスで幹事さん考案のゲームに興じる。
事前に回答しておいた質問の回答用紙を見ながら、
どのidさんがそれを書いたかを予想するというもの。
当たっても外れても面白い。
私は割りと多くの人に見抜かれているらしいことが判明した。
漢字一字から人間性を読み取られる恐ろしさ!
ゲームが終わったところで、次の目的地であるオルゴール博物館へ。
移動中、はてなハイクを始めたきっかけのお話を聞く。
当然のことながら、入り口は十人十色でいつ聞いても面白い。
 
オルゴール博物館はこぢんまりした造りだった。
催しごとに展示物が変わるとのことで、
今回は十九世紀末の流行音楽をカウントダウン形式で紹介していただいた。
オペラ音楽の壮麗な旋律を、無数のピンが華やかに奏でる。
その音は、よく寝かされた醸造酒のように、まろやかで後味が濃い。
ぼわんと広がる残響や、時折ひっかかる金属音は、深く沈む澱のようだ。
機械が違えば音の大きさや音色、音域も違う。
個性豊かで聴いていて飽きない。
ベルや小さな太鼓まで一緒に演奏してくれるものは特に愛らしく、
小さな太鼓が自動でパラパラと音を鳴らすのが目にも楽しかった。
一台に12曲も収められているもの、音色が変化するもの、
演奏と共にマジックをしたり、絵を描いたり、子守をしたりする様々な仕掛け人形。
その発想や工夫や細工に、目が回るような、おぼれるような感覚に陥った。
人の手を経て、人の手を離れ、今も音を奏で続ける小さな装置。
最後はコーヒーをいただきながら、1900年代初頭の自動演奏のピアノを聴く。
ピアニストの実際の演奏を記録したものを読み取って弾いているのだと言う。
ドラマティックに弾かれる鍵盤を眺めていると、
そこにぼんやりと人影が浮かび上がって見える気がした。
案内をしてくれた方が、
これを演奏した人がいて、これを残した人がいることを思った時、人間の可能性を強く感じた、
と言っていて、それに大きく頷いたのだった。
 
ここで名残惜しくも離脱となったわけでしたが、とても心に残る時間となりました。
幹事のid:dj_redさん、お疲れ様でした。そして本当にありがとうございました!
cloud_leafさん、yarukiさん、はじめましてだったinkbonさん、takhinoさん、
ご一緒させていただいて楽しかったです。またお会いしましょう。

モノトーン

窓を開けて降る雨の音を聴く。
外は明度が低く、部屋の灯りがやけにこうこうとして見える。
くすんだ色合いの空を眺めていると心が落ち着く。
私の本来の気質や性分に、雨や雲の佇まいがしっくりと馴染むのだ。
このじめじめとした、うっとうしいもの!
雨音をはさんで、鳥の声や車の音、どこかの家の子供たちの声が聞こえる。
葉桜は雨に打たれて跳ねる。時折枝にたまった雫がぽたりぽたりと垂れる。
乾いた安全な部屋から乳灰色の空を眺める。
ヘッドフォンを着けたり外したりしながら、
冷たくなったコーヒーを少しずつ飲んだ。
 
雨は内と外をきっぱりと分ける。
外を眺めながら、内の声にも耳を澄ます。

蕗の葉味噌

蕗の葉と茎の境目に、ざくりと刃を入れる。
切り分けられた茎の方はラップにくるんで冷蔵庫へ。今回の主役は葉なので、お休みしていてもらう。
葉は丁寧に汚れを洗い落とし、ボウルに溜めた水に浸け、充分に水を吸って広がるのを待つ。
しゃきっと生き返ったら、今度は煮えたぎるお湯の中で泳がす。
鍋のお湯が赤茶色になると、アクがしっかりと抜けていくのが目に見えたようでなんだか嬉しい。
葉がくたくたにならないよう、三分たったら引き揚げる。
再びボウルの冷水に潜らせ、残ったアクが出ていくまで、何度か水を替える。
二時間ほどで、アク抜きが終わる。
しっかりと水気を絞り、細かく刻んでゆく。
鮮烈で眩むような、蕗の強い匂いがたちこめる。指にまで染みこむ。
熱した中華鍋に油を回し、刻んだ葉を一気に入れる。
全体的に油が回り水分が飛んだら、味噌、砂糖、みりんを入れ、しっかりと混ぜ合わせる。
まとまったら、完成。蕗の葉味噌のできあがり。
 
扱ったことのない山菜は、いつも心もとない気持ちで調理する。
そんな私の心情が表れたような、実に青く、固い味がした。
出来立ては蕗の香りがツンとして、ご飯に乗せて丁度良いくらいだったが、
日が経つにつれ角が取れて、そのままお酒のアテにしても良いまろやかさになった。
大事に食べようと思っていたのに、箸が進みすぎて困っている。

命あるもの

ドウダンツツジが新芽の先から蕾をのぞかせていた。
「新芽」と言うのすらためらわれるほど淡く柔らかいさみどりに、おそるおそる触れてみた。
小指の先ほどの蕾は、それでもはっきりとわかるほど肌理細かく、その身の内にひたひたと水分を蓄えていた。
私のカサカサの固い指にも伝わるその瑞々しさと薄く柔らかい肌触りは、
生まれたての赤ん坊の手のひらを思い起こさせた。
曇りのない、真新しい細胞に触れる時、私は何度でもこの蕾のことを思い出すのだろう。
ゆるんだ陽射しを浴びながら、暫しそのさみどりを撫で続けた。

赤い水筒に

かじかむ指先をぎゅっとコップに押し付けながら、公園のベンチで紅茶を飲んだ。
家で飲む時は何も加えず、あっさりと飲む。
外にはミルクとお砂糖を入れたものを持っていく。
理由は単純で、その方が赤い水筒に似合っているから。
明るく浅はかな赤に、たっぷりの牛乳を加えた紅茶のとろりとした色がいかにもあたたかく映る。
曇天の下、まだ蕾んだままの桜の木を見上げ、首筋をひやりと撫でてゆく風に縮こまりながら、
両手に包んだ甘く熱いミルクティーを啜る。
このあたたかい吐息を吹きかけて、今すぐ淡紅色の花弁がほころびたらいいのに。